紅型(びんがた)染というと、沖縄の南国らしい鮮やかな原色で型染めされた琉球紅型を思い浮かべる方が多いかもしれません。
琉球紅型の歴史は古く、その起源は13~14世紀頃といわれています。かつて琉球王朝では、王家や士族のみに紅型の着用が許され、また神事にも着用されました。 その後も琉球王府の保護のもと、沖縄の気候風土と自然の中で独自の紅型が育まれていきました。
南国特有の神秘的な美しい紅型という染物は、琉球王国の貴重な交易品として発展し、その華麗で洗練された紅型の芸術性は、先人達によって今日まで伝えられています。
紅型は江戸・元禄時代に、近隣諸国との交易により、琉球から京都や江戸などにその技法が伝えられ、各地でつくられるようになりました。
紅型を関東で好まれる渋好みにし、江戸の型染め技法で染めたのが「江戸紅型」です。
江戸紅型は、友禅の影響などを受けて、南国では見ることの出来ない草木・鳥の文様が描かれるようになり、柔軟に成長していきました。
琉球にとどまらず、京紅型、江戸紅型として明治期に入っても広がりをみせていた紅型ですが、第二次世界大戦などの戦争の時代に入ると、紅型の道具や型が戦火で焼失し、衰退してしまいます。 しかし、一部の型は沖縄の紅型研究者・染色家の故・鎌倉芳太郎(重要無形文化財「型絵染」の保持者)によって保管されていました。その紅型の型紙を用いて、戦後、鎌倉芳太郎は東京で紅型染を再興させました(沖縄では城間栄喜、知念績弘が中心となって復興されています)。
江戸紅型は琉球紅型に多くみられる南国的な華やかで明るい色ばかりではなく、渋味のあるグレーなど落ち着いた配色で構成されています。
また、植物染料を使う琉球紅型は原色の強い色がでるのに対し、江戸紅型は顔料を使うため、はんなりとした優しい印象の色の仕上がりとなります。
基本的な手法は、琉球紅型と同じですが、江戸紅型は糊を置くために型紙を用い、染めにも一色に一枚の型を用います。柄により数百枚の型紙を使って染める場合もあるといいます。
一枚型を用いて糊を置いた後は、模様を手で色挿しし、乾かして色を定着させます。江戸紅型は、仕上げに金線や型箔、刺繍などを施す場合もあります。