有松・鳴海絞りは、愛知県有松町・鳴海町地方でつくられる木綿絞りの総称です。
絞りの技法そのものは、奈良時代に始まったとされていますが、有松・鳴海絞が始められたのは、江戸時代の初め頃です。
有松・鳴海絞りの元祖は、江戸時代初期に有松に移り住んできた竹田庄九郎という人物で、当時、生産が始められていた三河木綿に、豆絞りの染めを施した手拭いを、宿場間の街道を行きかう人々に土産として売り出したのが始まりでした。
江戸・元禄時代に、参勤交代のために江戸と行き来する西の大名達にとっては、有松・鳴海地方は、有名な街道筋の宿場で、この地に宿をとった武士達が、その絞りの手拭いを、各地へ土産物とし、次第に全国へと広まっていきました。
有松と鳴海という町は、現在、名古屋市の同じ緑区に属していますが、名古屋市に編入されるまではそれぞれ別の郡に属しており、元々は全く別の地域です。
江戸時代の有松と鳴海は、互いに本家争いや販売、訴訟合戦を繰り返していたという関係だったそうですが、江戸時代以降日本国内における絞り製品の大半を生産しており、現在は“有松・鳴海絞り”と、一括して国の伝統工芸品に指定されています。
江戸時代の参勤交代の大名や武士達の江戸への土産物や、国元への土産物として、全国に広まっていった有松・鳴海絞りは、主に浴衣地として用いられており、熟練した技術が生み出す多様な絞りが特徴です。
絞りは、主に
①図案づくり、②型づくり、③生地への型紙の図案刷り、④絞り加工、⑤染色、⑥糸抜き、⑦仕上げ、という工程を経てつくられますが、すべてが分業です。
最も絞りの技術を要するとされるのが、絞りの工程です。 絞りの種類には、平三浦絞り、鹿の子絞り、蜘蛛絞り、嵐絞りなど、多様な絞りの種類があり、種類によって糸で括ったり、縫ったり、巻きつけたりと手法や道具が異なります。
一反の反物にひとつの絞りだけでなく、いくつもの絞りの模様の手法が使われる場合は、それだけ多くの職人の手が必要となります。
有松・鳴海絞りの技法(模様)は、100種類以上にも及び、それぞれに専門の括り職人がいます。絞りの手法は、世界中にありますが、これだけ多くの技法を保有している産地は、世界でここだけといわれています。
嵐
蜘蛛
平三浦
鹿の子
日の出
合わせ縫い