開き名古屋帯 西陣織 龍村美術織物

龍村美術織物の西陣織 開き名古屋帯買取りました

今回いわの美術が買取りさせていただいたのは、龍村美術織物が作った西陣織の開き名古屋帯です。龍村美術織物は、初代龍村平蔵が織物の世界に美を持ち込んだ事から始まりました。
龍村平蔵は大阪博労町(現在の大阪市中央区)に生まれ、幼い時から茶道や華道、仕舞、俳諧などの文芸美術が多い環境で育ちました。様々な才能を発揮した龍村平蔵ですが俳諧の才能では群を抜いていたと言われています。


龍村平蔵が西陣織を作ったのは祖父が亡くなり家業が傾き始め、家計を助ける為に学校を退学して呉服商の仕事を始めた事がキッカケです。呉服商の仕事をするうちに織物の世界に魅了されていった龍村平蔵はみずから製造している所に入り、技術を学び研究を重ね18歳で織物業を始めました。
龍村平蔵は常に今までにない独創的な織物を作りたいという気持ちを持ち続け新しい技術の開発に挑戦していった結果、30歳の若さで様々な特許を取得し人々に衝撃を与えその後龍村製織所を設立。


今までの織物というと、空引工が空引機で織物を手動で織っていたのですが、海外から持ち込まれたジャカード機という自動織機が使われるようになり西陣織の歴史が変わります。
ジャカード機はフランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカールが発明し、それにより機械化の幕開けとなりました。
その後龍村平蔵は美術工芸学校に足を運び卒業生について調べ始めます。その訳はジャカード機が主流になる事により、織の技術ではなく図案が良い物でなければいい作品は生まれないので、図案製作が出来る若手のデザイナーを発掘し育成するためでした。着物や帯は図案がとても重要になってきて、その紋様の作風によっては売れるか売れないか決まるので図案を書くというのはとても重要な仕事になります。

その後、若手デザイナーによって高い水準を保持する図案が次々と作り出されました。それにより龍村美術織物の名前が世界に広がり、何代にも渡り技術が受け継がれていきました。
いわの美術では龍村美術織物の開き名古屋帯の買取りを強化しています。


龍村美術織物の品物買取りについて

龍村美術織物が作る西陣織は糸を上手く使い紋様に立体感を出す事で彩りと奥行きを加えた高浪織や、写真で撮ったような紋様を機械で織り出すゴブラン織などで作品を作ります。

その作品の全てがとても緻密でありながら大胆さも持っている美的要素があり、色合い、立体感、和と洋を融合させた紋様が特徴で思わず目を奪われてしまうお品物が多いです。

また開き名古屋帯は名前の通り、胴になる部分を開いて仕立てている事からこの名前がつきました。

通常開き名古屋と呼んでいますが鏡仕立てとも呼ばれているそうです。
一般的な名古屋帯とは違い締めた時に厚みが出るのが特徴で、袋帯に近いボリュームが出ます。
いわの美術では龍村美術織物の開き名古屋帯をお買取り致します。お品物の状態にもよりますが1点でのお買取りが可能ですので、龍村美術織物のお品物をお持ちでしたら是非一度いわの美術までお問い合わせください。


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