小川内龍夫 久留米絣の反物

小川内龍夫の久留米絣の反物買取りました


今回いわの美術がお買取りさせていただいたのは小川内龍夫が作られた久留米絣の反物です。
小川内龍夫は18歳から久留米絣の制作を初め、50年以上伝統を守り続けている大ベテランです。
小川内龍夫は日本工芸染織展にも出品されている人で年齢を感じさせず、綺麗に作られた織物は格段の1品です。
久留米絣の特徴はその藍染によって出された色合いと、シンプルで繊細な模様、曲線が描かれている事で、しっかりとした織り上がりで表現されています。
手作業で作られているため、にじんだような柄のかすれが出て、工芸品では出せないような味わいが作られ、また綿繊維で作られている為、吸湿性に優れているので、夏に着れば涼しく、冬に着れば暖かくなり、洗濯などにも強く作られています。
久留米絣を作る際には柄作りから最終的な検査まで、なんと31の工程があり、とても手間が掛かって作られています。いわの美術では小川内龍夫が作られた久留米絣の反物の買取りを行なっています。

小川内龍夫の久留米絣買取りについて

小川内龍夫の作っている久留米絣の歴史は1800年頃、今から200年以上も前に遡ります。
米屋を営んでいた家系に生まれた井上伝、彼女がのちに久留米絣の創始者となる人でした。
小さい頃から縫い物が好きだった井上伝は7~8歳の時に木綿織りの稽古を初め、師匠に習い本格的に織物や裁縫の勉強を始めます。
元々の才能があったのか、12~13歳になると大人にも負けないくらいの木綿織りの技術が上達していて、白木綿や縞を織り上げては売りに出しに行きました。
また、箪笥の中に着古した藍染に白い斑点が付いているのを見つけ、このような模様が付いた織物は作れないかと試行錯誤を重ねます。

霜降や霰織と呼ばれるようになる白い斑点の付いた織物を完成させ、加寿利と名を付け販売します。この試行錯誤によって作られた織物が久留米絣の元となる技法になりました。

その評判は瞬く間に広がり、15歳では20人程の弟子が集まったと言われています。
その後21歳で結婚しましたが、28歳の時に夫が他界、子供を育てながらも織物の研究に明け暮れ、弟子の育成に力を入れながらも、久留米原古賀織屋おでん 大極上御誂(だいごくじょうおめし)の証票を添付して売り出します。

順調にいっていた織物制作ですが、絵模様を作り出すのに大変苦労したと言われていましたが、東洋のエジソンと言われていた田中久重(からくり儀右衛門)の協力により板締め技法を開発し、絵模様を作り出す事に成功します。その後も弟子を多く取り、その弟子達が伝統を受け継ぎ各地に散らばり、久留米絣の織物を広げていったと言われています。その伝統を受け継ぎ久留米絣の名前を世界中に広めた小川内龍夫の作品はとても評価が高いお品物になります。
ご自宅に小川内龍夫さんの作られた久留米絣の反物はございませんか?いわの美術では小川内龍夫が作られた久留米絣の反物を高価お買取り致します。ご処分にお困りでしたら是非一度いわの美術までお問い合わせください。

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