人間国宝 深見重助 漂色交組六桁唐組ニ菱並列帯締め

深見重助の帯留買取りました


1885年に京都西陣で代々唐組を家業としている家に生まれた重助は、10歳の頃に父親で十二代の深見重助から家業を学び、14歳には組紐技術を本格的に学ぶようになります。

その後、父親と共に伊勢神宮で20年に一度行われる神社や神宝を新しくする式年遷宮と呼ばれる儀式において、1909年、1929年の二度にわたり平緒を製作し新しい神宝として納めるなど深見家の作った組紐は高い評価を得ていました。

重助が45歳の時に父親が亡くなりそれと同時に十三代目を継ぎ、以降宮中や神社などの儀式で使われる組紐などの製作を行い、1953年、1973年に行われた伊勢神宮の式年遷宮にも宝太刀の平緒を製作し納めています。

また、正倉院宝物の紐緒や国宝経巻の紐緒の修理や復原に携わるなどした功績が称えられ、71歳の時に重要無形文化財唐組の保持者に認定されます。

その後も製作の手を休める事なく作品を作り続けますが、88歳で製作した伊勢神宮の式年遷宮で納める神宝太刀の平緒が最後の作品となり、翌年老衰の為89歳でこの世を去りました。



組紐とは


組紐とは、日本の伝統工芸品でその歴史は古く縄文土器などで模様付けに使われていた縄が原点とされています。

その後奈良時代では、中国から仏教と一緒に仏具や巻物の飾り紐として組紐が伝わり、それを追うように組紐の技術も広まっていきました。

組紐の技術を得た奈良時代では、組紐で作る組み帯や袈裟の飾り紐が製作され、以降武具や茶道具の飾り紐などとして用いられてきました。

また、戦国時代から安土桃山時代まで武将、大名として活躍した豊臣秀吉が当時作られていた組紐を高く評価した事から組紐職人が生まれ、この職人が代々受け継がれていき現在の組紐業の元祖となっています。

戦が多かった鎌倉時代や戦国時代には、甲冑や刀剣の飾り紐として組紐が流行し、現代で言うファッションのようになっていましたが、1876年に廃刀令が発足された事により武具の飾り紐は徐々に衰退していきます。

その後、明治時代の中期頃から着物の帯締めとして組紐の需要が高まり、以降数多くの帯締めが製作され、現在の主流となりました。




帯締めの買取

いわの美術では、上記でご紹介した深見重助のお品物以外にも道明の帯締めなどもお買取りしております。

帯締めの買取に関しては、作家物や工房、状態などが査定の需要ポイントとなっています。

上記でご紹介した深見重助や道明などの作家や工房作品で未使用品のお品物ですと1点で評価できる物もございますが、それ以外の物ですと1点で評価出来ない事がございます。

しかし、弊社では1点で評価出来ないお品物でもまとめてお買取りさせて頂いておりますので、ご安心ください。

また、ご自身で着なくなった着物、お母様が使われていた帯締めや帯留などご売却をお考えの方、捨てようと思われている方がいましたら一度いわの美術までご相談ください。

いわの美術では、着物や和装小物以外にも茶道具や掛軸、絵画、仏像、中国美術、記念硬貨、日本刀などもお買取りしております。

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捨てるという選択肢をする前に一度いわの美術までお問い合わせ下さい。


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