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有職織物の作品買取ります

2015.5.8

有職織物の作品買取ります

いわの美術では朝廷や公家と言われる天皇の側近や、朝廷に仕える者、上流貴族が身につけていたとされ、無形文化財にも指定されている有職織物の作品をお買取り致します。

有職織物の有職と言う言葉は、もともと有識と言う言葉から伝わったとされます。

有識は、学業に対する知識が豊かという意味になっていましたが、その後、儀式、行事、官職、などを研究し、あらゆる知識が豊富という意味に変わり、字も有職となりました。
有職織物は、奈良時代の唐より平安時代に伝わったとされ、一般の人は身に付ける事ができず、当時はとても貴重な品物と言われていて、
綾、浮織物、二倍織物、錦、穀、紗などの種類があり、色彩や紋様は日本人の好みに合わせて和様化されました。
色彩は、青(緑)、赤、黄、白、紫が使われて、紋様を中心に描くより、色彩の風合いを大事にして作られます。
なぜ、紋様ではなく、色彩にこだわるのかというと、平安時代中期の女性の着物と言えば十二単が一般的ですが、
十二単は、12枚の着物を重ねるため、紋様よりは色彩の風合いや、着た時のグラデーションなどを重視します。
なので現代の有職織物は平安時代の伝統から、作品の多くに色彩が重視されていると言えます。
いわの美術では伝統ある有職織物の作品を買取り致します。

 

有職織物の買取りについて

有職織物にとって一番大事な事はかさねの色で、この使い方によっては品物を美しくするか、ダメにするか決まってしまいます。
平安時代の有職織物で作られた着物は、現代の着物のように何色も使って模様を作り出すのではなく、単色で紋様を作りあげます。
単色の紋様と言われると、色彩があまりなくてシンプルすぎたり、寂しいイメージを持ちますが、そんなイメージを覆すように、シンプルの中にも上品で気品溢れる品物が生まれました。
有職織物は無形文化財にも認定されているお品物ですが、有職織物で人間国宝になった方もおられました。
喜多川平朗と喜多川俵二の2人で、親子2代で人間国宝になり、この2人によって、有職織物は世界中に知られる事となります。
喜多川俵二は兄と2人兄弟でしたが、兄がこの家業は向かないと出て行ってしまい、当時浪人していた喜多川俵二は暇な時間に父喜多川平朗の仕事を手伝っているうちに、その面白さにのめり込んでいきます。喜多川俵二は父に作家になるのか職人になるのかどうするんだと聞かれ悩んでいた所、お客さんに「喜多川さんで買ったら安心できる。希望通りのものが出来る」と言われた事で職人を目指す決意をしました。


また、有職織物で一番難しいとされるかさねの色を10年間何度も染めた色を眺め、化学染料を勉強し、やっと自分の技術として身につけます。
平安時代で途絶えてしまい、一般の人が着る事は許されなかった有職織物を復活させてくれた喜多川平朗と、喜多川俵二がいたからこそ、今でも私達の元に品物が届くようになりました。
いわの美術では有職織物の作品の買取りを強化しています。着ずにしまっている有職織物のお品物などございましたら、是非一度いわの美術までお問い合わせください。



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