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大城廣四郎の琉球絣買取ます

2014.6.14

大城廣四郎の琉球絣の買取を行っております


【着物買取いわの】では、大城廣四郎の琉球絣の買取を強化しております。
10年ほど前に亡くなってしまった大城廣四郎は琉球絣の産地である沖縄県の南風原町に工房を構え、輝くような受賞歴を持ち、琉球の染織工芸会でカリスマ的存在でした。


大城廣四郎が琉球絣を始めるきっかけとなったのは母親の仕事の手伝いで、染色場へ通っていた事でした。
何度も染色場へ通っていたので織り手が相談している話を聞いているうちに自然と機織りの基礎が身についていました。
本格的に琉球絣を織るようになったのは戦後になってからで、琉球絣に必要な糸や材料が満足に手に入らなかった時代、釣り具やからロープを購入し、それをほどいて生きていくために布を織っていました。


大城廣四郎がいなければ、今の琉球絣は無いといわれる程、多大な功績を残し、現在でも「琉球絣といえば大城廣四郎!!」と言われるほど人気の高い大城廣四郎の琉球絣は反物、着物問わず、【着物買取いわの】では高価買取で対応しております。



琉球絣買取ます


琉球絣は、1611年に儀間真常が薩摩より木綿の種子と木綿技術を導入したことで生まれたといわれており、通常の絣と違って図案通りに織れるよう計算して、糸の部分部分を色分けして先に染めてから織りあげるため、大変手間のかかる作業を経て反物として出来上がるのですが、少しでも糸がズレてしまうとその後に織る柄が全てズレてしまいます。
とにかく手間と時間のかかる琉球絣は、琉球王朝時代には交易品として大和(日本)へと伝えられ、薩摩絣、久留米絣、米沢琉球絣、伊予絣など日本の絣のルーツとなった織物として知られています。


琉球絣は琉球王朝時代から続く「御絵図帳(みえずちょう)」をもとに、自然や生活に密着したものを簡略化した図案の組み合わせによって600~700の柄を作る事ができるそうです。
現在では織り手の高齢化が進み、素材となる糸質の低下によってうまく染められない事から廃棄してしまう事が多く、年間の生産量は減少の傾向にあり、貴重な織物として中古市場でも見直しが進められている織物の1つです。
ご自宅で、仕舞ったままになっている琉球絣はございませんか?
琉球絣には大城廣四郎以外にも大城カメなど活躍している作家さんがいらっしゃいます。
どの琉球絣でも【着物買取いわの】であれば他よりも高値で買取させて頂きますので、ご売却をお考えの琉球絣がございましたら、まずは【着物買取いわの】までご相談下さい。

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