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中野絣の買取を行っております
中野絣、買取ます
中野絣は今では幻となってしまった織物としてその存在を知っている人も少ないのではないでしょうか。
今日ではお写真のような本や資料で見る事ができなくなってきていると言っても過言ではないほど貴重な織物となっております。
中野絣は板締め染色の手織白絣で男性の夏の着尺地として知られています。
安政年間に飛白(かすり)を製織したのが中野絣の始まりとされており、明治の末には白絣が織られるようになりました。
この中野絣の産地である邑楽町中野一帯は明治から昭和初期にかけて、木綿で作った白絣の産地として有名で、奈良県大和高田市で織られていた大和絣と合わせて「西の大和絣・東の中野絣」と呼ばれています。
どちらの絣も残念ながら現在、生産は途絶えてしまっています。
これは、日本文化の西洋化や戦争による綿製品の規制などが大きく影響しており、かつて邑楽町には機屋70軒、紺屋20軒、板屋10軒があったと言われていますが、全て廃業しています。
このように中野絣は入手が難しい幻の織物として現在中野絣会が中野絣を伝えたいと技術の伝承と保存に尽力しています。
歴史的資料としても価値のある中野絣のご売却をしませんか?
中野絣のご売却をお考えでしたら、まずは【着物買取いわの】までご相談下さい。
不要な絣、買取ます
日本には中野絣以外にも各地で様々な絣が織られており、伊予絣、久留米絣、備後絣は日本三大絣と呼ばれています。
絣の技術はインドで生まれたとされ、東南アジアを経て日本には琉球経由で伝わったとされています。
「かすり」という呼び方は江戸時代後期になってからで、それ以前の時代でどう呼ばれていたのかは現在分かっていません。
絣には先ほどお話した日本三大絣以外にも琉球絣、薩摩絣、吉倉絣、弓浜絣など絣があり、産地によって買取額が変わってきますので、お問合せの際は絣の種類が分かるようでしたら、しっかりとお伝え下さい。
また、証紙やはぎれも査定に影響してきますので、一緒に保管してあるようでしたら、査定を希望している絣と一緒にお出し下さい。
不要な絣のご売却なら、日本全国で絣の買取を行っている、【着物買取いわの】にお任せ下さい。