新着情報

野村静枝の作品の買取を行っております

2015.6.20

野村静枝の作品買取ます
【着物買取いわの】では、佐賀錦の皇室献上作家、野村静枝の作品買取を強化しております。


野村静枝は10代半ばで祖母から手ほどきを受け佐賀錦の美しさに魅せられ、優れた研究を重ねて独自の技法を生み出しました。
そんな野村静枝の噂は皇室まで届き、皇后様(当時・美智子妃殿下)からご用命を賜り、ネックラインが深く大きくカットされた首元や胸元を露わにしたスタイルのドレス、ローブデコルテを佐賀錦を用いて制作する事になりました。
以後、今日に至るまで皇后様のバックや帯、着物などの御召し物を50着以上手掛けてきました。
また、大阪万国博覧会の貴賓室のインテリアパネルの制作を依頼され、佐賀錦の作品を展示した経験も持っています。


野村静枝はすでにこの世を去ってしまっていますが、娘の野村由美によって「野村静枝佐賀錦」を継承し、後継者として活躍を続けています。
もちろん、皇后様の御用も引き継いでおり、親子そろって佐賀錦の作家として活躍を見せています。
そんな野村静枝の作品のご売却をしませんか?佐賀錦は着物一着を仕上げるのに1年以上の時間を必要としている事から野村静枝の作品も数が少ない上に需要が多いので、高価買取が期待できます。
野村静枝の作品の高価買取なら、着物の専門知識を持ち合わせている【着物買取いわの】にお任せ下さい。



佐賀錦について


野村静枝の作品は佐賀錦ですが、佐賀錦は金銀箔を漆で和紙に貼り、細く切ったものを経糸とし、絹糸を緯糸にしている織物です。
ただし、織機ではなく、織り台という縦46センチ・横32センチ程度の小さな台に経紙と呼ばれる経糸を掛け、網針(あばり)という杼を簡略化したような針と竹ベらで絹糸を織りこんでいきます。
そのため、熟練者でも1cm織るのに2、3時間を費やす事も少なくないので、1つの作品を作り上げるまでにとても時間がかかるのです。


そんな佐賀錦ですがその起源は江戸時代に遡ります。
江戸時代末期の肥前鹿島藩鍋島家9代藩主夫人が病に伏せた時、部屋の天井の網代組(あじろぐみ)の美しさに惹かれ、日常生活の何かに応用できないかと考えました。
そこで、観世縒(かんぜより)で網代を編んで印篭を作り、その後の鹿島藩夫人たちによって現在の佐賀錦が生まれたと言われています。
これを鹿島説と呼んでおり、もう一つが小城説と呼ばれ、すでに完成していた佐賀錦を鹿島藩鍋島家9代藩主夫人が鹿島藩に伝えたという説があります。
どちらが正論なのかは現在では確かめる事ができないそうですが、有力なのは鹿島説だそうです。
また、佐賀錦は明治初期には生産を一時中断させられ、存続の危機に直面しました。
しかし、佐賀県出身の大隈重信が技術が途絶えてしまう事を惜しみ、旧華族の間で再興され評判となり、ロンドンで開催された日英博覧会で出品し、ここではじめて「佐賀錦」と正式に命名され、世界へと広まっていきました。


佐賀錦には網代、紗綾型、菱紋、文字紋、柳紋、亀甲紋、雷紋など約10種類の文様があり、織り方には平織り、紋様織り、綾織りの3種類があります。
佐賀錦に使われている技法や作家によって買取額が変わってきますので、お分かりになる場合は、しっかりとお伝え下さい。
特に人間国宝の古賀フミの作品は高価買取となっており、先日、大腸がんによってこの世を去ってしまいましたので、中古市場でも価格に動きが見られます。
この機会に佐賀錦のご売却をしませんか?佐賀錦のご売却をお考えでしたら、まずは【着物買取いわの】にご相談下さい。

お問い合わせ・無料査定はこちら

無料査定のお申込みはこちら