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帯の柄付け

2016.1.10

帯の柄付け


着物同様、帯にも様々な種類がありますが、帯の柄付けには、「全通柄」「六通柄」「お太鼓柄」の3種類があります。



現代の帯のような柄付けの形態になるまでには、長い歴史がありました。奈良時代や平安時代は、紐帯のようなもののみで、上流階級の正式の服装としての帯は殆どみられませんでした。

応仁の乱以後、女性が袴を脱いで小袖姿になった桃山時代から、帯を着用するようになったといわれています。

当時の帯は、「名護屋帯」と呼ばれる縄状の組帯で、この名称は、佐賀県の地名に由来しています。


その後、時代とともに、装飾性が増し、帯幅も広がっていったそうです。 組紐の帯の次に登場したのは「裂地」の帯です。裂地の帯は、錦織や唐織、緞子などの技法で織られた帯びで、普段は「昼夜帯」という、片面が模様、もう片方の面が黒繻子のリバーシブル帯が用いられました。どちらも無地か、全体に柄のある総模様の「全通柄」の帯でした。


次第に、帯幅が広くなっていきますが、いち早く広い幅の帯を締めはじめたのは江戸時代の遊女で、五寸ほどの幅の帯を用いていました。

一般庶民の帯幅が広くなったのは、江戸時代の元禄ですが、このころには、様々な帯び結びが流行しました。

これは結び方が自由にできる柄付けであったことが一因といえるといわれています。


江戸時代末期になると、深川の芸者が「お太鼓結び」を考案し、このお太鼓結びが明治時代に定着しました。 そして、未婚の女性以外はお太鼓を結ぶことが多くなったため、前帯とお太鼓部分のみに柄付けされたお太鼓柄の帯が考案されました。


お太鼓柄の帯が一般に流通したのは、昭和初期と伝えられています。お太鼓柄は全通柄に比べ、安価でファッションとしても斬新だったため、当時の着物にあわせて大流行しました。 六通柄の帯は、明治時代以降に、丸帯に変わって考案された袋帯に伴って登場しました。


袋帯は胴に巻く一巻目の部分は隠れてしまうため、柄がなくてもよいという発想から生まれました。六通柄という名は、柄を付ける部分が全体の長さの六割になるということから付けられました。


「全通柄」「六通柄」「お太鼓柄」は、染めの帯、織りの帯どちらに対しても用いられます。また、袋帯、名古屋帯、袋名古屋帯などにも共通して使われます。細帯・半幅帯などは無地か総柄が現代では一般的です。

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