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福永世紀子の作品お買取り致します

2017.8.9

福永世紀子の作品買取ります



着物や帯などの買取実績豊富ないわの美術では、丹波布に恋をした福永世紀子の作品をお買取り致します。

6人兄弟の末っ子として高知県に生まれた福永世紀子は、小さい頃から周りと一緒に何かをするという事が苦手で、いつも1人で草花のスケッチを描いているという子だったそうです。

高校卒業後にデザインの専門学校と美術大学に進学し、卒業後はシートクロスのペーパーデザインを手掛ける会社に就職するも嫌いな事はやらないという頑固でマイペースな性格は変わらず3年で飽きて辞めてしまいます。

その後、綴織で人間国宝に認定された細見華岳に「織りを学びたい」と頼み込み、3年頑張るという条件付きで入れてもらいましたが、1年半で織りの分業体制に馴染めず製作所を飛び出し、残りは自宅で作品を作り製作所へ届けるという生活を送り約束の3年を迎えました。

徐々に綴織の技術が身に付き指名客も増え始めた33歳の頃、知人に連れられて行った丹波市で綺麗に紡がれた糸の美しさに一目ぼれした福永世紀子は、丹波布を作る事を決意し、この出来事が福永世紀子の人生を大きく変えました。

その後、睡眠や食事の時間も割いて丹波布作りに没頭して作品を作った福永世紀子は、丹波布コレクターである藤本均に丹波布のデザイン、染織家の柳悦孝に色彩、野田良子に藍染めを学ぶなど様々な人に出会い刺激を受けた事により素晴らしい作品を作り上げました。



福永世紀子の作品について




福永世紀子は、58歳で故郷の高知県土佐市に戻り、一目ぼれした丹波布を作っていく中で、独自の作風を確立させ、自分でデザインを描くようになってから土佐で作った織物という事で「土佐手縞」と名付けました。

また福永世紀子のデザインは、丹波布特有の民芸調ではなく、現在のような着物のデザインに合わせてモダンな作品を作りました。

小さい頃は周りと一緒に何かするという事が苦手で、常に一人で遊んでいて自分の好きな事には熱中出来るタイプだった福永世紀子だからこそ、妥協しないで丹波布を作る事が出来たと言えます。

いわの美術では、マイペースですが自分で決めた事は決して曲げる事のない福永世紀子の丹波布をお買取り致します。着物では、黄八丈・大島紬・結城紬の織物から、友禅・紅型・辻が花の染物、訪問着・付下げ・小紋の格で分けられたりと様々な種類がございます。

お母様の着ていた着物が多数あって処分に困っていたり、ご自身で買った着物の処分をお考えでしたら、着物買取の実績豊富ないわの美術までお問い合わせ下さい。

また、弊社では着物以外でも、茶道具や絵画、書道具、中国骨董品、仏像、アンティーク、おもちゃなど様々なお品物をお買取りしておりますので、処分にお困りのお品物などございましたら、お気軽にご相談ください。


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