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着物の歴史・古代~飛鳥時代

2016.6.16

着物の歴史・古代~飛鳥時代


着物の歴史~先史・古墳時代


日本の伝統文化である着物。着物の語源は「着るもの」で衣服を指していましたが、現在のような着物の形となったのは、平安時代といわれています。それ以前の日本人の祖先はどんな衣服を着ていたのでしょうか?


日本は4世紀には大和朝廷として統一国家となりますが、それ以前は群小国家の集まりで、その中の一つが中国と交流のあった卑弥呼の邪馬台国です。

3世紀頃の中国の歴史書「魏志倭人伝」によれば、女王・卑弥呼は、衣服の原形といわれる貫頭衣(かんとうい)という一枚の布から頭を出して着るごく単純な袖なしの衣装を着ていたとされています。

一方、男子は、巻布衣と呼ばれる、インドのサリーのように、身体に布を巻きつける形をした衣服だったようです。

弥生時代には原始的な機織りや、藍などから取った植物染料を使った染めも行われていたようですが、卑弥呼など、身分の高い人物は絹を用いた衣服をまとっていたようです。


4~5世紀になると、貫頭衣に袖がついて動きやすい服装となります。布を裁断して縫った着物に似た、上下の二部式の衣服を着るようになります。 女子は中国の影響により、筒袖の打ち合わせをした上衣に、スカートのようなものあわせた衣裳を着て、男子も同様に、筒袖の打ちあわせした上衣に、衣褌と呼ばれるズボン状のものを着用していたといわれています。

また、出土品の埴輪にみられるように、衿あわせが斜めになり、男女とも赤いひもで結んでいます。この時代は、男女とも現在とは逆の「左前」にえりをあわせていたようです。


着物の歴史~飛鳥時代


6~8世紀の衣服は、古事記や日本書紀といった歴史的書物から伺い知ることができます。 この時代の衣服といえば、聖徳太子や吉祥天女像に代表されるような、貴族達の礼服です。

貴族の着用していた礼服は、中国・随の朝廷の礼服とほぼ同じです。聖徳太子は、遣隋使を派遣し、随という先進諸国からあらゆるものを吸収しようとし、その結果、国家の組織の中心となる律令制度や、仏教、美術、服飾に至るまであらゆる方面で大きな影響を受けました。


推古天皇の時代には、冠位十二階の制度が制定され、階級の色が定められるようになりました。冠位十二階では、十二階級のそれぞれに、上位から紫・青・赤・黄・白・黒の濃淡で階級が定められたものです。この制度により、衣服が実用的な面だけでなく、上流階級社会でのステイタスシンボルとしての役割を持つになったことを示しています。この冠位制度により、自分の階級以上の色と冠と衣服を身に付けることは禁じられました。  

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