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着物の歴史~近代

2016.6.16

着物の歴史~近代


着物の歴史 明治時代


徳川慶喜が大政奉還し、明治時代になると、日本の服飾の歴史史上、重大な転換期が訪れました。江戸時代末期にアメリカ使節ペリーが来日し、徐々にオランダ、イギリス、フランスとも通商条約が結ばれ、長い鎖国時代に終わりを告げた明治政府は、徐々に近代国家としての遅れを取り戻していきました。

鎖国をしていた遅れを取り戻そうと政府主導で欧米化を目指しますが、まず、男性の洋装化が始まりました。


公家の衣冠も廃止され、明治天皇もちょんまげを切り、洋服をお召しになりました。宮中の礼服は洋服となり、それにより上流社会の欧米化が進み、和洋折衷の服装が次第に浸透しはじめました。



西洋化を進める明治政府は、官僚や軍人などは「正式の場では洋服を着用せよ」という衣服令を発布し、一般庶民に対しては、着物を着る場合は家紋を入れた「紋付」が礼装と定められました。

それ以後、着物での礼装は男女共に紋付となりました。この頃の礼服は、男子は黒羽二重五つ紋付羽織袴で、女子は黒や色無地の縮緬五つ紋付裾模様下襲に丸帯が用いられていました。


明治時代中期になると、羽織が一般に定着し、また、女子の着物の衿元にのぞくじゅばんの衿を飾るものとして、刺しゅう衿が大流行し、和装の中での一番のチャームポイントとなりました。


着物の歴史 大正時代~昭和・現代明治時代


大正時代になると、市川房枝や、伊藤野枝といった女性の自立を提唱する運動が盛んになります。また、アメリカからパーマネントが入ってくると、洋装化がさらに進み、特に男性には背広が流行します。

女性は華やかな色や紫のぼかし染めの派手な羽織や道行コートが出現しました。


大正時代には、女学生の間に行灯袴などの袴姿が流行しましたが、これが日本文化として定着し、現在でも、卒業式などで、女性の袴が正装の一部として好んで着用されています。

第一次、二次世界大戦と戦争の時代に入ると、戦争へ向かう男性は国防色の上下服、女性は筒袖の着物にもんぺのスタイルとなりました。 


終戦を迎え、西陣をはじめ室町界隈の問屋街、全国の呉服店も、出征していた人達が復員し、少しずつ織物業界全体が活気をおびはじめました。



和服の人気を押し上げ、流行させたのはウールで仕立てられた色彩が美しいウール着物です。ウール着物は、カジュアルで気軽に着られる普段着の和服として日本中の女性の間で流行しましたが、その後、和服ではなく、日常着として洋服を着る人の割合が増え、呉服業界は不振に追い込まれました。


現代は、和服を日常的に着る女性を見かける機会は少なくなりましたが、七五三や、成人式、結婚式などの冠婚葬祭においては、着物の着用が一般的になっています。また、夏の花火大会や祭りでは、浴衣を着用する若い男女も増え、柄・素材とも多彩になってきています。

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