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九州地方の染織品~小倉織

2016.8.3

九州地方の染織品~小倉織


小倉織は、江戸時代から明治時代にかけて、豊前小倉(現在の北九州市)の名産品として知られた綿織物です。

小倉織の経糸は、緯糸の3倍の密度と多いため、表現としては「たて縞」となり、凛として潔い個性的な雰囲気をもっています。小倉織の染めはすべて天然染料を用いており、縞の濃淡で立体的な世界を創りだしています。


小倉織の歴史は古く、徳川家康が小倉織の羽織を着て鷹狩りの際に愛用したと伝えられています。

良質の木綿の糸を使用した平織の小倉織は、布が地厚で丈夫、そして、しなやかな地風が特徴であるため、当時は武士の袴や帯に使われ、九州はもちろん江戸や京阪など全国に出荷されました。


小倉織の最盛期は、江戸時代後期の嘉永年間(1848~1854年)頃で、小倉城下町及び近郊に住む武家女性の内職などで3000戸が織ったといわれています。 幕末以後は減少しますが、1896年に小倉織株式会社が開業し、紡績糸と力織機を使うようになり、一時盛んになりました。しかし、明治時代後期に金融恐慌のあおりをうけるなどし、小倉織株式会社は倒産、それとともに350年以上続いた小倉織は衰退しました。


小倉織の復元~築城則子


長く途絶えていた小倉織を復元・再生したのが、築城則子です。八幡(現在の北九州市)に生まれた築城則子は幼少期より、童話や小説など文芸の世界に没頭し、早稲田大学文学部に入学しますが、世阿弥を研究テーマに選び観劇に出かけた折、その舞台上での能装束に魅せられます。

この古裂との出会ったことにより、築城則子はこんな織物を自らの手でつくりたいと、すぐさま大学を中退し、1974年、小倉北区の染織研究所に入所し、1年間、染織の基礎を学びました。

その後、小倉織を調査・研究して、1984年に「幻の布」といわれた小倉織を復元させました。


築城則子は、織物作家の表現として、より細い草木染の糸(経糸約60本/cm)を用いた新たな縞の世界を切り拓いていきました。今や小倉織の第一人者と呼ばれる、築城則子の表現する伝統と革新が融合した作品の数々は、東京国立近代美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館にも収蔵されています。

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