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組紐の歴史

2016.5.20

組紐の歴史


組紐の歴史~飛鳥・奈良時代



組紐とは糸条を斜めに交差させながら、互いの上に浮いたり下に沈んだりさせて組んだ紐状のものです。

日本の伝統工芸品のひとつである組紐(組み紐)の歴史は古く、既に縄文時代に3,4本の組んだ単純な組紐の原形が存在していたことがわかっています。


縄文時代は、組紐といっても、動物などの皮を裂いて紐状にしたものや、木の蔓などを利用した紐のようなもので、土器の模様付けに使われたり、槍をつくるために石器などと結合するために使われていたようです。

古墳時代には、武具の一部や、青銅器の装飾として用いられました。


本格的に組紐が渡来したのは、7~8世紀の飛鳥・奈良時代からです。仏教の伝来により、仏具、経典、巻物の付属品の飾り紐として、大陸から日本に入ってきました。


法隆寺に伝わった「唐組垂飾」の菱形文の唐組技法も大陸からもたらされた技法が用いられています。この唐組紐は、寺伝には、推古天皇の几帳の飾りだったと記されています。

奈良時代には、武具、被服、宗教用具、楽器などに組紐が使われました。



組紐の歴史~平安・鎌倉時代


複雑な組み方が現われ、洗練された日本独特の組紐がつくられた、平安時代から鎌倉時代は、組紐の黄金時代といわれています。 平安時代には、菱形文を横方向に10以上も連結し、幅を広げる技術が用いられるようになり、雅やかな唐組の平緒を完成させました。

平安時代の組紐は、宮廷貴族の正装でなる束帯などに用いられ、平清盛が1164年に広島県の厳島神社に奉納した「平家納経」は、現存する日本の経巻に中で、最も美しいといわれています。


日本の組紐は寺社に伝来するものが多く、中尊寺金色堂の藤原秀衡の棺中から発見された組紐や、四天王寺蔵の「懸守」(女性が度の安全を祈願して首にかけたもの)など、宗教との関わりが深く、精神性の高いもので、組紐の技法は日本独特のとして発展していきました。


平安時代中期から鎌倉時代、戦国時代にかけては武士の台頭により、組紐も武具や武器に多用されるようになりました。大鎧には随所に組紐が使われ、騎馬の実戦に適した機能性と武士の死に装束に相応しい美意識を具えています。武蔵御嶽神社の「紫裾濃大鎧」や熊野速玉大社の「御神宝」などがその例として伝わっています。


組紐の歴史~室町時代・江戸時代


室町時代には、茶の湯や飾り紐として、また能楽、舞楽などに組紐が使われました。この時代には、豊臣秀吉が美術工芸を奨励したことから、組紐を職業とする者も現れました。 また、江戸時代には組紐に関する重要な書が盛んにつくられました。

江戸時代の中でも、最も華やかであった元禄年間(1688~1704年)には、加賀庵主・五代前田綱紀編纂の「百工比照」(藩内の代表的な工芸品を集めた見本帖)が書され、この見本には様々な組紐の見本をみることができます。また、下野国黒羽藩の第11代藩主・大関増業編集「止戈枢要」(武事・産業等に係る百科全書)にも組紐に関する記述が3巻にわたって記されています。


付属品であり、主役の対する脇役的な組紐ですが、その歴史をたどってみると、美を引き立てる奥深い存在として、なくてはならない役割を担ってきたということができます。

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