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帯の歴史・古代~中世

2016.4.3

帯の歴史・古代~中世


帯の歴史~古代


現代では、和装の中でも華やかで個性的な存在感を放っている「帯」ですが、その起源は、原始時代に腰回りに結ばれた「紐」であったと考えられています。


帯の始まりは、衣類自体より古いといわれており、原始社会のころに、裸体に腰紐のみを巻いて、そこに狩猟で用いる道具を挿していたことに始まったと考えられています。そして、人類が最初に衣類を着た時、活動しやすいように、腰回りに紐を括るようになったといわれています。


また、腰紐には、衣類を紐で結んで、隙間から悪霊や病気が入り込まないように封じ、自己の正気が抜けないように押さえるといった古代の呪術的な要素が込められていたとも考えられています。

この紐が、いつしか実用性を兼ね備えるようになり、一本の腰紐として用いられ、やがて衣生活で重要なものとなり、帯へと発展していきました。


 

古墳時代~奈良時代


奈良時代までは、唐(中国)などの大陸文化の影響が色濃くみられ、男性の腰紐や帯は、武具を吊ったり、飾ったりして、自らの地位を誇示するものとして用いられていました。

玉石で飾るなど、贅をこらしたものが使われ、組紐で編んだ革製の腰帯が東大寺・正倉院宝物にも遺されています。 この時代の女性は、縁飾りのある長い装飾的な紕帯(そえおび)を用いて、衣服を纏め、また飾りとして用いていました。



帯の歴史~平安時代・鎌倉時代・室町時代・戦国時代


平安時代では、男女が着用していたのは上下二部式の衣服で、帯は、着衣を纏める実用的な役割というよりも、装飾的な意味合いを持った付属的な存在だったようです。 


腰紐として、帯が実用的な役目を持つようになったのは、武士社会となっていった鎌倉から室町時代にかけてです。

武士だけでなく、庶民も上下一部式の小袖を着用するようになり、特に庶民の女性は労働に従事し、活発に動くため、衣類がはだけるのを防ぐため、腰紐で束ねるといった実用的な役目を果たすようになりました。


また、この時代の武家社会の女性達は、貴族社会であった前代の貴族風を踏襲しながらも、小袖を原点とした絹衣装を着用するようになり、実用的な腰紐がより、装飾性を大きく持つようになりました。この様子は絵巻物に、左右色を違えた腰紐を結び、細い腰紐を幾恵にも巻垂らして、絢爛さを表した武家の女性達の姿にみることができます。

桃山時代から室町時代には、平ぐけ帯や、名古屋帯と呼ばれる組紐の帯も用いられるようになり、この時期から、単に衣装を纏めるための実用的な組紐としてではなく、帯として独自な展開が見られ始めるようになりました。


一方、応仁乱以前の武家社会での男性は、直垂や素襖といった公家衣服を離れた着衣が展開されますが、以前として二部式衣装が主体で、女性の一部式衣装のように、帯が特別な意味を持つことは少なかったようです。

応仁の乱後は、上下一般に袴を脱ぐ風習が起こり、袴を脱いだ後は、打掛けの下に小袖と帯という姿になり、帯が外に現れるようになり、男性も小袖を身に付け、帯をつけるようになったとされています。


戦国時代には中国、朝鮮、南蛮との貿易が盛んに行われていました。

高級絹織物の代名詞でもある西陣織は、応仁の乱で、京都から難を逃れて、堺や山口の港町にきていた織工たちが、技術をもち帰って織物をはじめたのが、そのはじまりといわれています。

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