新着情報

帯の歴史・近世~近代

2016.4.12

帯の歴史・近世~近代


奈良時代、平安時代を経て、武士が台頭した戦乱の時代の頃までのというのは、ただ結ぶだけの、細い紐帯のようなものでしたが、戦国時代に入り、城下町が形成されると、庶民を底辺とした風俗文化にも変化がみられるようになります。


武士の社会の衣装にも、軽装な小袖という新しい概念が生まれ、また、庶民の信仰から諸芸能も各地で発達し、多様な文様衣装が成立していきました。

こういった庶民風俗文化の発達から、女性の間でも美しい文様の小袖を着流すことが流行し、それとともに、小袖に見合った美しい帯が求められるようになっていきました。

それまでは、単に腰に結ぶだけの紐のような存在であった帯が、織物や絞り加工されるようになり、色鮮やかな組紐もみられるようになります。


桃山時代には、組帯平ぐけ帯が流行し、特に九州の名護屋でつくられて広まった「名護屋帯」という組帯が洒落たものとして好まれました。


徳川幕府の江戸時代に入ると、帯も若干太くなります。現在のような帯になりはじめたのは、江戸時代中期だといわれています。

長きにわたって平穏であった江戸時代では、衣装はより派手になり、新しい染色加工技術も創案され、女性の風俗は華やかさを極めていきました。


1658~1673年の寛文の頃に、寛文小袖と称された大柄で、大胆な構図の小袖が流行しましたが、この時の帯は簡単に結ぶか、挟み込んで留めていたそうです。


華やかな元禄の時代になると、さらに帯幅が広くなり、歌舞伎役者の舞台姿などを倣って、帯の長いたれ先を優美に結ぶ方法が行われるようになります。

それまでの帯は、小袖の付属品的な扱いでしたが、吉弥結び、水木結び、平十郎結びといった華やかな帯結びが流行して、帯の存在感が増すようになりました。


その後も、帯幅はさらに広くなり、やの字結び、ひっかけ結びなど帯の結び方も多様化し、若い女性は後ろ結びを好むようになります。

帯の素材も博多織、ビロード、金襴など多様になり、後ろで結ぶことを意識し、前の腹部で帯の結び目を固定する「帯締め」などが使われだします。


江戸時代が終焉し、近代に入ると洋服が普及しますが、着物の帯の結びは「お太鼓結び」が主流になります。

帯の形態も略式の袋帯、名古屋帯などがつくられ、帯締め、帯留め、帯揚げを用いる、現代の仕様が一般的となりました。

お問い合わせ・無料査定はこちら

無料査定のお申込みはこちら