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九州地方の染織品~高瀬絞り

2016.8.30

日本最古のしぼり木綿~幻の高瀬絞り


かつては肥後特産として繁栄した高瀬絞りは、日本最古の絞り木綿として知られます。

熊本県玉名市高瀬町を中心につくられていた高瀬絞りの歴史は大変古く、1638年に松江重頼より著された「毛吹草(けふきぐさ) 」に、諸国の特産品として豊後しぼり木綿と共に「高瀬しぼり木綿」が挙げられています。この著に「高瀬絞木綿 当所より始」とあることから、高瀬絞りは日本最古の絞り木綿と考えられています。


その後、江戸時代を通じて高瀬しぼりは、肥後の特産品として発展していきますが、天保時代末期(1840年頃)につくられた「肥の後州名所名物数望附」に「高瀬絞り木綿 名代にて多く製す 見事也 所々へ出る」と記されていることからも、陶磁の高瀬絞り木綿の発展ぶりをうかがい知ることができます。


明治期に入ると、明治8年の「日本物産字引」の肥後の項に「絞り木綿 高瀬より製す」とあり、また、明治16年の熊本の統計表の中にも「絞木綿 玉名郡高瀬町」の名産として挙げられていましたが、それを最後に名前がみられなくなりました。したがって、これが高瀬絞り木綿を知る最後の資料とされています。


高瀬しぼりの模様


高瀬絞りの詳細についての文献はみつかっておらず、明治末期の手拭いが唯一遺された高瀬絞りの手がかりとなっています。

高瀬絞りがつくられていた当時、どのような模様であったかは明らかではありませんが、古老などへの聞き取り調査から、戦前まで使われていた作業用の女性の労働着として用いた腰巻き「ゆもじ(湯文字)」によく高瀬絞りが使われていたことがわかっています。藍染めの「ゆもじ」は、農作業用として用いられ、夏の暑い季節には藍染めの汚れの目立たない「ゆもじ」が唯一身を包む衣服として重宝されていたようです。


高瀬絞りに関する古老への調査の際、明治10年代生まれの女性の話によると「朝顔のような丸い柄に、蜘蛛の巣のような糸がかりの跡がある絞り」を、戦前頃まで家庭や農作業の時に腰にまとっていたといいます。


こうしたことからも、大柄な模様、単純で自由な配列が初期の高瀬絞り木綿の模様にふさわしいのではないかと考えられています。

現在は熊本県の研究会のメンバーが、幻となってしまった高瀬絞りを復元しながら、地域の人々に紹介し、伝統を受け継いでいこうと様々な活動が行われています。

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