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着物の歴史~鎌倉・室町・桃山時代

2016.6.16

着物の歴史~鎌倉・室町・桃山時代


着物の歴史~鎌倉時代


平家一門が壇ノ浦で滅びた後は鎌倉幕府が開かれ、武家社会となり、平安時代の過剰衣服から実用衣服へと変化します。 平安時代の重ね着の衣服は式服にのみ残され、上流階級の人々の衣服も重ね着する枚数も減っていき、活動的なものへとなっていきます。

平安時代の女装束は、鎌倉時代になると衣の部分が制限されて「五つ衣」となりました。また、袴も晴れの場合にのみに着用され、実生活では省略されるようになります。女性の下着の小袖が変化し、白小袖が考案され色や模様入りのものがではじめるようになりました。


着物の歴史~室町時代



平安時代、鎌倉時代の着物は、古代中国の衣服のような広袖(ひろそで)でしたが、室町時代になると、小袖が急速に表着として着用されはじめます。


小袖はもともと広袖の衣服の下着で、筒袖(つつそで)でしたが、これが上着として着られるようになりました。次第に、筒袖に振りがつくようになり、この室町時代の小袖が、現代の着物の源流となりました。

上流階級の女性はこの室町小袖を三、四枚重ねて細帯を締め、その上から一際立派な小袖を打ち掛けて着用しました。 この一番上に重ね掛けて着用した小袖が、他のものと比べて華麗で美しかったため、「打ち掛け」と呼ばれるようになりました。庶民の女性は、小袖に細帯という簡素な衣服を着用していました。 武士は、平常着であった直垂が礼服となり、裾を長く引く長袴となって定紋をつける習慣がでてきました。 また、室町時代には、中国から染織品が貿易で日本にもたらされ、それとともに職人も招かれ、日本の染織技術も向上しました。また、オランダ人やポルトガル人が来朝したことにより、更紗やビロード、繻珍など多種多様の染織品も輸入され、日本の染織技術の発展に大きな役割を果たしました。なお、応永年間(1394~1427年)には、朝鮮から木綿が入ってきたことも特筆すべきことでしょう。


着物の歴史~安土・桃山時代



戦国時代を経て、安土・桃山時代に入りますが、この時代には織田信長や豊臣秀吉といった歴史に名を残す戦国武将が現われ、そういった時代背景から、小袖や打ち掛けも、華麗でダイナミックなものへと発展していきました。


服飾専門家によれば、安土・桃山時代の小袖や打ち掛けの特徴としては、身幅が広く、袖幅が極端に狭く、袖口が小さいといった点があげられます。

また、織り、刺繍、絞り(辻が花)、摺り箔など、高度な技術を用いた小袖が誕生し、現在の訪問着や留袖の原型ができた時代ともいえます。

武士は、直垂・大紋・素襖が主流となり、日常的に、袴が用いられました。

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