新着情報

織りの技法~佐賀錦

2016.7.14

織りの技法~佐賀錦


佐賀錦は箔糸(金、銀、漆を貼った和紙を細かく裁断したもの)を経糸に、絹の撚糸を染色したものを緯糸として、丹念に織り上げられた織物です。


佐賀錦は、錦織や唐織とは異なり、日本で生まれた織物です。

江戸時代に佐賀鹿島支藩(現在の佐賀県鹿島市周辺)・鍋島家家中で織られたので、かつては鹿島錦とよばれました。


佐賀錦の由来には諸説ありますが、文政年間(江戸時代末期)に、鹿島鍋島家の9代目藩主夫人が病床に伏せていた折、見上げた天井の網代組の美しさに心を惹かれ、それを打ち明けられた近習の者達が、夫人を慰めるために考案した紙縒りの小物が原型となっていると伝えられています。


当初は、鹿島錦と呼ばれ、和紙の紙縒や木綿糸を使って織られていましたが、歴代の佐賀鹿島支藩夫人により、工夫と改良が重ねられ、和紙(箔糸)と絹糸を組み合わせる技法が確立しました。


佐賀錦は、織機ではなく、織り台という小さな台に経紙と呼ばれる経糸を掛け、網針という針と竹べらで絹糸を織りこんでつくられます。

佐賀錦の最大の特徴は、経糸に金銀の箔糸を使い、緯糸には金銀糸、色糸など多彩な絹糸を用いることです。

佐賀錦の文様は、緯糸で表しますが、経糸に箔を使っているため、上品で美しい輝きの中に紋様が浮かび上がり、華やかさの中にもしっとりとした趣のある魅力的な織物です。


当初、鹿島錦の名がつけられていた裂地ですが、明治時代に入り、廃藩によって中奥が解体され、存続の危機を迎えました。しかし、鹿島錦の消滅を惜しみ、佐賀藩士であった大隈重信の計らいにより、1910年にロンドンの日英大博覧会に出品され、大好評を博しました。これを機に、産地を明確にするため「佐賀錦」という呼称に統一されるようになりました。


佐賀錦の紋様には、伝統的な網代型、紗綾型、菱型、卍繋ぎなど、多種多様なものがあります。これら幾何学模様を綾織りと平織りで、端正に織りだしますが、これは非常に根気のいる手仕事で、精緻な技術を要するため、1日わずかしか織ることが出来ません。 膨大な時間と手間をかけてつくりあげられた佐賀錦の帯などは、絢爛豪華で気品のある優雅な美しさを秘め、まさに美術品ともいえるものです。

佐賀錦は1993年に佐賀県より「伝統的地場産品」の指定を受けています。


また、佐賀出身の染織作家・古賀フミ(1927~2015年)は、佐賀錦の技法を継承する重要無形文化財保持者(人間国宝)に1994年に認定されています。

古賀フミは、幼少の頃、曽祖母や母から手ほどきを受け、佐賀錦の制作技法を習得しました。1966年、日本伝統工芸展に初出品して入選、1969年の日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受けるなど受賞歴も多く、1988年に紫綬褒章、1998年には勲四等宝冠章を受章するなどし、優れた色彩感覚の作風で多くの佐賀錦の名品を残しました。

お問い合わせ・無料査定はこちら

無料査定のお申込みはこちら